他人を信じること

他人を信じることは紙一重だ。
信じすぎると、ただのお人好しになってしまうこともあるだろうし、最悪だまされるかもしれない。
逆に信じることができず、常に疑心暗鬼でいたら、孤独な毎日を送ることになろう。
自分とは生まれも育ちも違う他人を信じることは、容易なことではないと思う。表面だけのつきあいならば、割り切ってつきあうこともできるだろうけれど、友達にしろ、彼氏彼女にしろ、夫婦にしろ、相手を信じることをしないと、お互いの関係性を築くことができない。
例えば明日会うという約束をする。明日お互いが決めた時間と場所に、お互いが現れると信じているからこそ約束が成立する。
明日来ないかもしれない、と疑ったら約束というものは成立しない。
個人と個人の関係もそうだし、仕事上のつきあいも、組織同士の信頼関係でなりたっている。この世の中は全てそうだ。
相手を信じられなくなったら関係は終わりだ。相手の信頼を踏みにじるようなことをされたら、いくら信頼回復に努めたとしても、元通りの関係になることは難しいだろう。
一度信じることができなかったら、二度目はない。信じようと思っても、常にいつかはまた裏切られるという疑心暗鬼にとらわれてしまうと思う。
信じることは難しいけれど、その信じる心を裏切ることはたやすいことだ。人と人との関係はお互いで成り立つ。自分が相手を信じていればこそ、相手も自分を信じてくれる。信じてくれなくても、盲目的に自分が相手を信じることで、相手を変えていくことだってできるかもしれない。
他人が自分を信じてくれていると思うことは、自分の自信にもつながっていくのだと思う。
世の中にはそういった信じる心や弱みにつけ込んで金を巻き上げるような人もいるし、平気で騙したり裏切ったりする人もいる。
騙し裏切りを続けていく人の先には何があるのだろうか。
深い深い孤独しかないのだろう。