子に対する愛

信じることの先には愛があると思う。
世の中生きていくためにはどんな場であっても信頼関係や信用が大事であるけれど、自分に近しい人であればあるほど、その相手を信じて疑わないし、そしてそこには愛があると思う。
信じることの度合いが愛情の深さにつながっていくのではないであろうか。
信愛とは相手を信用して大切にすること。相手を大事に思うからこそ、相手を理解しようとするし、信じようとする。
よく親の愛は無償の愛という。誰が信じなくても我が子を信じたいと思うのは、親の子に対する愛以外の何者でもないだろう。そして子供にとっても、誰が信じてくれなくても、親だけでも自分を信じてくれていると、それは大きな強みになるだろう。
親子の間でも、お互いを信じることは重要だ。ある意味絶対的な信頼関係ともいえる。
赤の他人に愛を感じるとき。彼氏とか彼女とか。夫婦とか。
愛がなくても一緒になる人も中にはいるだろう。でも一緒に生活するうちに、お互いの信頼関係が生まれてきたら、そこには愛が生まれるのだと思う。
そう認識しなくても、相手を思いやり共に同じ時間を空間を過ごす努力そのものが、相手を思いやる気持ちであって大切にしていることになると思う。
他人と同じ時間を過ごすのは、相手を信じる気持ちがなければ成り立つものではない。
結婚する前でもした後でも、相手を信じることができなければ、生活は破綻すると思う。他人をずっと信用し続ける、また信用され続けること。何気ないようなことで、維持するのは難しい。
一時であれば、その時だけ優しくすることもできる。信じるフリをすることだってできるかもしれない。でも何があってもこの先ずっと大丈夫とか、この人ならやっていけると信じなければ、赤の他人と人生の長い間同居なんてできるものじゃないと個人的には思う。
そして相手を信じる度合いが強ければ強いほど、お互いの絆が強まって、愛も深まるのだと思う。