信じるに値する根拠

信じるものは救われる。本当か・・・。
科学が発達した今の世の中で、目に見えない何かを信じることは、難しい。
人を信じるのは、信じるに値する根拠があるから、成せることである。それに対し、信仰とは目に見えないものを信じるのである。
信じて、望みを叶えてもらうとか、願いをかけたりする。信じて願いをかけたところで、その願いや望みが叶うかどうかはわからない。けれども一生懸命に祈るのである。
そもそも宝くじが買わなければ当たらないのと一緒で、信じなければ何も起こらないのである。
個人的には人よりは信仰心がある方だと思う。自分を信じたくても、信じられなくなることもある。そういうときは決まって不安になるし、この先どうしたらいいのだろうと途方にくれてしまうのだ。
そういうときに、例え結果として、何も起こらなくても、必死になって神様とかを信じることで、自分に再び自信がわき上がってくることもある。信じて、必死でお願いしていればいつかは、状況が好転するかもしれないと自分で自分に言い聞かせるのである。
祈っても祈らなくても、状況は変わったかもしれないし、変わらないかもしれない。でもお願いすれば大丈夫という根拠はないけれど、信じる心が人を強くすることもある。
世の中、どんなにあがいてもままならないことが多い。自分の力ではどうしようもできないことも多い。そんなときに、人は目に見えない力を信じたくなるのだと思う。
治らない病気になったら、死ぬと諦めるか、藁をもすがる思いで、目に見えない力を信じて生きるか。
技術水準がどんどん高くなる現代でも、どうしようもないことはいくらでもあるのだ。
信仰心は時代とともに、どんどん薄れていく。目の前に病気や死が迫ることが格段に少ないからだ。
でも自分の力ではどうしようもできないことが目の前に立ちはだかったとき、人は誰しも眠っていた信仰心を呼び起こすのではないだろうか。