自分の力を信じる

何を信じるかで、その先が決まる。何を信じていけばいいのだろうと、途方にくれてしまうこともあるだろう。
選択肢がたくさんあってどの道を突き進んで行けばいいのか迷ったとき、何を信じて選べばいいのだろう。
迷いがあるときほど、信じる何かがあるのとないのとでは違う。信じるモノがあれば、その信念に付き従って信念に沿った方向を選べばいい。
占いを盲目的に信じている人もいるだろう。当たるも八卦当たらぬも八卦と言われるけれど、言われたことをそのまま信じることができるのならば、悩む必要はない。いいと言われた道を選べばいい。
けれど言われたことに対して全てイエスと答えて、その道をまっすぐに進んでいけるほど人は強くないと思う。
周りからどう思われようと、自分が信じるものがいいと思った道を進むと決められるなら、その人は相当強い人だ。
迷いながらも、こうしたい、ああしたいという願望は人それぞれにあると思う。そして、自分が思うとおりに進んで行きたいという欲があるものだ。
仮に自分が意図する方向と違った答えを出されたとしたら、その結論に素直に従える人はそれほどいないと思う。占いでダメだったらもうやめようと思っても、やめることが自分の意と反しているのであれば、別の占いを頼ってみたりすることもあるかもしれない。
そうなると信じるということが、意味がなさなくなってしまうこともある。
結局はいろいろな決断は自分で決めなくてはいけないから、最終的には誰を何を信じるのではなく、己を信じるしかないのだと思う。
何を信じていたとしても、行動してその道を進んでいくのは自分だ。誰かに何かを言われて、その言葉が自分の力を信じる糧になることはあると思う。
他人を信じることができることも、まずは自分は他人を信じることができると信じることができなければ、その先はない。
信じることとは、まずは自分を信じること。