信念を持ち続ける

自分なりの信念を持つということは、人生を生きる上で大切なことだ。大切だけれども、これといった信念を持っている人は、それほどいないのではないかと思う。
何が正しいかは人それぞれである。自分はこれが正しいと信じることが、他の人にとっては正しくないかもしれない。
人が何を是として信じるかは、その人の自由であるから、第三者がそれはおかしいとか、間違っているとか言う権利はない。例え100人いて、99人が1人の考えを正しくないと否定したとしても、その1人が正しいと信じることに疑いを持っていなければ、その人にとって、その考えは正しいのである。
人はそれでも弱いから、周囲の環境や考えに左右されがちだ。最初はこれが私が信じる正しい道と思っていても、違う、間違っていると否定され続ければ、もしかしたら間違っているのかも?と自分の考えをひっくり返してしまうことは往々にしてあろう。
周りに流されず、信念を貫き通せる人はいったいどれくらいいるだろう。
はじめは固い信念を持っていたとしても、必ず信念が揺らぐ時はくる。そのとき、ぶれないで自分や神仏を信じることができるのか。
信じることができれば、その信念は本物で揺らぎがないものになり、その信念を持った人は、その志を一つの自分の中の軸として強く生きていけるような気がする。
けれど、信念を持ち続けることは難しいし、大変なことだ。大事なことであるけれど、大事だからこそ貫くことは難しい。
信念を貫くためにはある程度心が純粋であることが求められる。邪心であったり、少しでもあわよくばという心があれば、人は簡単にぶれるからだ。ある意味ピュアで、正しいと信じることを真っ直ぐ疑わないという素質がなければ、信念なんてもてないだろう。
誘惑が多いこの世の中であれば、脇目もふらず自分が是と信じる道を一生貫き通すなんて至難の業である。それでも、自分なりの信念はなるべく持って生きていきたい。