人はひとりでは生きていけない。ひとりで生きている風を装ったとしても、必ず誰かの支えなしでは生きていけないのだ。
生まれた時から物心つくまでは、誰を信じるとかそういう意識はない。通常であれば父母や祖父母や家族の庇護のもと育つ。
両親の愛があれば、その後成長して、社会に出て行ったときでも他人を信じることができるだろう。三つ子の魂百までという。もし小さい頃に親の愛情をもらえなかったとしたら、成長しても、誰かを信じられるようになるのは、難しいのかもしれない。
信じることは過程や社会で生活する上での人間関係の基本であろう。狭い空間の中でもお互いを信じることで秩序も生まれる。これがお互いに疑心暗鬼で凝り固まっていたら、常に疑いの目を誰かに向けていなければならず、安心することもなく、夜も眠れないのだろう。
世の中にはきっとそういう人もいるのかもしれない。
人と関わる中で、信頼関係を築くのは、こつこつとした努力の積み重ねが大事だ。親子関係であろうと、夫婦であろうとだ。
夫婦なんて、もとは他人であるけれどもひとつの過程を創りあげていくためには、お互いを信じることが第一の前提だ。
信頼関係は、努力の結果であって、努力をしなければお互いを信じることもできないのである。それはお互いが協力しあって、理解しあうことで信頼関係が生まれる。そのためにもコミュニケーションは大事だ。
お互いがよく話合って、相手を理解しようと努力して、少しずつ相手を理解する。理解する中で自分は信じるに足る人間であることを伝える努力も必要だ。
そうして長い努力をして、本当の信頼関係を得られたら、とても居心地のいい関係になれると思う。他人を信じることは難しいけれど、この人ならと信じることができたら、とても幸せだと思う。
世の中は信じた結果裏切られることも多いと思う。でも信じた結果がそれでも、人を信じられた自分を信じて自信に繋げていきたいとも思う。