信じる

信じるということは難しい。
信じることができなくて、いつも不安と闘う。信じようと心に決めても、決めた傍からまた不安に駆られる。
何でもいい。信じることができる人は強いし、信じることができなければ弱い。
信念を持つというけれど、強く信じる心があれば、その信心を糧として、己に対し大丈夫だと暗示をかけることができる。
人は案外と単純だから、暗示をかけることで大丈夫と思い込むことで、できてしまうものなのだ。
逆に、信じる心が弱いと、その人自身も弱い。私もどちらかといえば弱い方かもしれない。いつもぐらぐらと揺れている。信じようと思ってもなかなか信じられない。特に自分を信じることができない。自分を信じることができなければ、他人を信じることなんて、もっとできないであろう。
自分を信じることと、自分に自信を持つことは同じことだろう。自信も過ぎればただのうぬぼれになってしまうけれど、かといってまったく自信がなければ、卑屈な人間になってしまう。
常に人と見比べて自分が劣ると判断してしまえば、劣等感だけがつきまとう。その構造は決してよくない。
何事もほどほどが大事だけれども、自分に対してある程度の自信を持つことは大事だ。自信があれば、その自信だけでなんとか切り抜けていくこともできるときもある。
第一印象やその人となりをよく知らない場合は、その人の外見や話した印象のみで、どういう人かを判断することになろう。
自分に自信がある人であれば、相手に対して余裕がある態度で接することができるだろうし、自信がなければ、常におどおどしてしまい、相手の心象を悪くするだろう。
もちろん自信がありすぎて、人を見下してしまうような態度は、問題外である。自信は根拠なく己を信じるのではなく、根拠があってこその自信がなければ、ただの虚勢にしか過ぎない。
自信を持つための根拠はひたすら己を磨くための努力である。